大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和56年(行ケ)234号 判決

(争いのない事実)

一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであることは、当事者間に争いがない。

(本件審決を取り消すべき事由の有無について)

二 原告は、本件審決は第一引用例及び第二引用例記載の発明の内容の認定判断を誤つた結果、本願発明と第一引用例及び第二引用例記載の発明との相違点についての判断を誤り、ひいて、本願発明は右各引用例記載の発明から当業者が容易に発明をすることができたとの誤つた結論を導いたもので、この点において違法として取り消されるべきものである旨主張するが、以下に述べるとおり、右主張は理由がないものというべきである。

1 前記本願発明の要旨に成立に争いのない甲第二号証の二、第三号証、第七号証、第一七号証及び第一八号証(本願発明の特許出願書添付の明細書及び手続補正書)を総合すれば、本願発明は、金属基質のような基質に望ましい装飾性及び/又は耐食性を付与するための、主として、クロムの電着を施す前の下地として用い得る光沢鉄―ニツケル合金析出皮膜の電着に関するものであるが、それだけではなく、プラスチツク類へニツケルや銅のような電導性の金属析出皮膜を付着させる前処理としての鉄ニツケル合金の電着にも使用することができ、更に、半光沢のイオウを含まないニツケル析出皮膜に対する薄いトツプコートとしても用いることができ、前記本願発明の要旨(明細書の特許請求の範囲に同じ。)のとおりの組成の浴によつて、クロム電着の下地として用いるときは、所期したとおりの良好な耐食性を有し、光沢、均一性及び延性において一〇〇%ニツケル析出皮膜に匹敵する、満足すべき光沢性のある鉄―ニツケル合金析出皮膜が得られるという作用効果を奏するものであることを認めることができる。原告は、本願発明におけるめつき膜はクロムめつきの直接の下層をなすもので、ニツケルめつき膜の代替として、それ自体で満足すべきニツケル様光沢の外観を有するめつき膜を作ることを目的とすること、また、その光沢剤は光沢ニツケルめつきにおける第一種光沢剤と第二種光沢剤とを併用するものである旨主張するが、右前段の主張については、前認定のとおり、本願発明の鉄ニツケル合金析出皮膜はクロムめつきの直接の下層をなすものとしてのみ用いられるものではなく、前記本願発明の特許請求の範囲の文言記載に徴しても、原告の主張のようにこれを限定的に解すべき根拠はないから、原告の右前段の主張は採用することができず、また、後段の主張については、前記本願発明の特許請求の範囲には「浴に可溶なニツケル光沢剤」とあるのみで特段の限定はなく、また、前掲甲号各証中本願発明の明細書の発明の詳細な説明の項の記載によれば、本願発明においてニツケル光沢剤として第一種光沢剤と第二種光沢剤を併用する例もあるけれども、これに限られず、その実施の態様(7)には、第一種光沢剤に属するスルホーオキシニツケル光沢剤を、実施の態様(8)には、第一種光沢剤に属するサツカリンのみを光沢剤として使用する例が示されていることが認められ、叙上の各事実に徴すれば、本願発明におけるニツケル光沢剤を原告主張のように解することはできないから、原告の上記後段の主張も採用するに由ない。なお、原告は、ニツケル光沢剤は第一種光沢剤と第二種光沢剤とを併用することが公知である等とも主張する。しかし、本願発明におけるニツケル光沢剤の意味するところは叙上認定説示のとおりであるのみか、この点に関する成立に争いのない甲第一九号証の一ないし三(岸松平ほか六名の編集に係る日刊工業新聞社発行の「めつき技術便覧」)、甲第二〇号証の一ないし六(金属表面技術協会編、日刊工業新聞社発行「金属表面技術便覧」)及び乙第一号証の一ないし三(同上)によれば、光沢ニツケルめつき用光沢剤は、そのほとんどに有機化合物が添加されていて、これら光沢剤は、第一種光沢剤と第二種光沢剤とに分類され、第一種光沢剤は、ある程度多く用いても差し支えなく、素地の光沢と同じ光沢のめつきが得られ(単独では、優れた光沢めつきは得られないこと。)、第二種光沢剤はその効果が著しいが、単独使用は多くの弊害を伴うこと、第一種光沢剤にサツカリン、パラトルエンスルホンアミドが含まれること、及び平滑化(レベリング、leveling)のよい光沢ニツケルめつきを得るための光沢剤は平滑剤(レベラー、leveler)と呼ばれるが、浴に添加して素地と同様の光沢を出すものをブライトナー(brightner)、素地以上の光沢を出すものをレベラー(leveler)とする説も存することを認めることができるけれども、ニツケル光沢剤において工業的に有用な光沢を得るには第一種光沢剤と第二種光沢剤を併用することが基本であるということまでは認めることができないから、上掲各証拠は、叙上の認定判断を左右するに足りず、原告の右主張は採用することができない。

他方、第一引用例に本件審決認定のとおりの記載(「光沢剤を含有する」との点を除く。)があることは、原告の認めるところであり、この事実に成立に争いのない甲第一四号証(第一引用例)を総合すれば、第一引用例は、本願発明の優先権主張の基礎をなす米国特許の出願前に頒布された米国特許明細書であるところ、第一引用例記載の発明は、平滑で延性を有する鉄及び鉄合金電気めつき物の密着に関するもので、従来輝いた鏡面状の電気めつきを施す方法では、ニツケル及びクロムめつきを電着するに先立ち、金属素地表面を機械仕上げによつて滑らかにする必要があるとされてきたが、鉄若しくは鉄合金からなる平滑化皮膜を素地上にめつきすれば滑らかにめつきされた表面が形成される結果、めつきに先立つて機械仕上げ(機械的ポリツシング)を行わなくても極度に薄い光沢ニツケルめつきとクロム電気めつきとをその上に施すことができるとの知見に基づき、<1>密着性がよく、延性があり、しかも平滑な鉄若しくは鉄合金電気めつきの生成方法、<2>光沢ニツケル及びクロムめつき用下地(アンダーコート)として有用な平滑化作用をもつた密着性の電気めつきの生成方法及び<3>その上に施されるニツケル及びクロム電気めつきの耐食性を改良する鉄若しくは鉄合金電気めつきの生成方法を提供することを目的とし、その目的を達するため、電気めつき層を形成するための浴組成として、サツカリンとフタルイミドからなる群から選択される平滑剤を使用するものであること、実施例(ⅠないしⅩⅡ)にはいずれも平滑化の測定値が表示され、実施例のまとめとして「全実施例により生成されためつき層は、光沢があり滑らかで窪みがなく、密着性のよいものであつた。平滑化作用の結果、これらのめつき上に更に光沢めつきとクロムめつきを施すと光輝のある鏡面状の表面が得られる」旨記載されていること、更に「滑らかさと光沢の双方を改良するためにパラトルエンスルホンアミドを添加することもできる」旨の記載があり、実施例Ⅱ及びⅨないしⅩⅠには、サツカリンとパラトルエンスルホンアミドを併用する例を挙げていることを認めることができる。以上認定の事実によると、第一引用例のめつき膜は、クロムめつきの直接下層をなすニツケルめつき膜の代替を目的とするものでなく、クロム及びニツケルからなる二層のめつきの下地をなすもので、サツカリン等の平滑化作用により予備研磨工程の省略を目的とし、その効果においても平滑化に主眼を置くものというべきであるが、サツカリン等の添加により、同時に皮膜の光沢性の改良をも意図することが開示されているものということができる。なお、原告は、第一引用例記載の発明は、サツカリン等を平滑剤として添加するものであつて、光沢剤として添加するものではない旨主張するが、前説示のとおり、平滑剤は、光沢剤の一つであつて、平滑化作用の優れた光沢剤(金属表面の平滑化により光沢が得られることは明らかである。)を指称し、サツカリンやパラトルエンスルホンアミドは第一種光沢剤に属するものであり、また、第一引用例記載のものは、サツカリン等を使用して平滑皮膜を形成させることを主目的とするため、サツカリン等の添加剤を平滑剤と表現しているけれども、その添加は、前認定のとおり皮膜の光沢性の改良をも意図するものであるから、第一引用例記載の発明におけるサツカリン等は、クロムめつき下地用光沢鉄ニツケル合金電気めつき浴における光沢剤ということができ、したがつて、原告の右主張は採用することができず、本件審決が第一引用例の浴中に光沢剤が含有されている旨認定(第一丁裏第一六行並びに第三丁表第四行及び第五行)した点に誤りはない。

そこで、本願発明と第一引用例記載の発明とを対比するに、本件審決認定のとおりその浴中の錯化剤の含有の点に差異のあることは原告の認めるところ、原告はその他に両者はその目的、構成(浴の組成)、効果を異にする旨主張する。しかしながら、右主張は、本願発明の目的及び構成(光沢剤の種類)を原告主張のように限定し、効果の点は、右目的及び構成を原告主張のように限定することを前提とするものであるところ、そのように解し得ないことは前認定説示のとおりであり、また、第一引用例に本件審決認定のとおりの内容の記載があることは前叙のとおりであるから、錯化剤含有の他にも相違点がある旨の原告の右主張は、採用するに由ない。

2 次に、右相違点について検討するに、成立に争いのない甲第五号証(米国特許第三、三五四、〇五九号明細書、一九六七年一一月二一日特許)によれば、右明細書には、「パーマロイタイプの合金フイルムを析出するための電解質は、金属イオン源として、ニツケルイオン及び第一鉄イオンを含有する塩類から構成される。空気酸化あるいはこれら電解質を調製するために用いる水中に溶解している酸素によつて、第一鉄イオンは容易に第二鉄イオンに酸化される。ニツケル電気めつき浴中の第二鉄イオンの存在が顕著な応力を伴つた析出物をもたらすことは当該技術分野において周知である。」(第二欄第四行ないし第一〇行)旨及び「電解浴の有効寿命の長さは、析出される合金の重量に依存するが、この合金も第二鉄イオン濃度の増加によつてその既に短い貯蔵寿命を更に減少するものである。」(第二欄第二六行ないし第二九行)旨の記載があることを認めることができ、これによれば、ニツケルイオン及び第一鉄イオンを含む鉄―ニツケル合金電気めつき浴において、空気酸化ないし溶存酸素により第一鉄イオンが酸化されて第二鉄イオンとなり、この第二鉄イオンが水和酸化物として沈殿析出し、その結果浴の寿命を短くするとの問題が存することは、本願発明の優先権主張の基礎をなす米国特許出願前周知の事実であつたということができる。そして、成立に争いのない甲第一五号証(第二引用例)によれば、第二引用例は、本願発明の優先権主張の基礎である米国特許出願前頒布された刊行物であることを認めることができ、第二引用例に本件審決認定のとおりの内容の記載があることは、原告の認めるところである。してみると、第二引用例には、前記周知の課題を解決するため、鉄イオン及びニツケルイオンを含むめつき浴に錯化剤を添加することにより、鉄の水和酸化物の沈殿を防止し、浴の寿命を延ばすことが開示されているものというべきである。

3 以上認定したところによれば、第一鉄イオンが第二鉄イオンに酸化され、水和酸化物として沈殿し、ニツケルイオン及び鉄イオンを含む浴の寿命を短くするとの問題点が存在することは、本願発明の米国特許出願前周知の事項であるから、第一引用例記載のめつき浴においても同様の問題の存することは当業者が当然に気付き得る程度のことと認めるのを相当とするところ、この問題を解決するための手段として錯化剤を浴中に添加することが第二引用例に開示されているのであるから、第一引用例のめつき浴において、第二鉄イオンの水和酸化物としての沈殿を防止し、浴の寿命を延ばすため、第二引用例に開示された錯化剤添加の手段を採ることは、当業者が容易に想到し得るところというべきである。原告は、第二引用例記載の発明が磁性膜の形成に関するもので、その錯化剤の添加は、生成される磁性膜の特性に影響を与えるものであるから、この錯化剤添加を浴の寿命を延ばす点のみで捕えるのは正当でない旨及び第二引用例の錯化剤が磁性膜形成の分野で有効に使用できたとしても、光沢性めつき膜形成の分野で支障なく使用できることにはならない旨主張するが、第二引用例には前認定のとおりの技術事項が開示されており、また、前掲甲第二号証の二、第三号証、第七号証、第一七号証及び第一八号証によるも、本願発明の明細書には、錯化剤を光沢めつき膜形成の分野で使用するに当たつて格別の問題点のあることについて何ら記載するところもないから、叙上原告主張は前段の判断を左右するに足りず、採用の限りでない。なお、原告は、第一引用例の浴の組成と第二引用例の浴の組成が近似していないこと、及び本願発明が、第一引用例及び第二引用例記載のものと技術的関連性がないことを理由に本願発明が右各引用例記載のものから容易に想到し得るものではない旨主張するが、前認定説示の第一引用例及び第二引用例記載の発明に開示された技術事項及び技術的思想に徴すれば、右各引用例が本願発明と技術的関連性がないものとはいい得ないし、また、第一引用例と第二引用例との浴組成が近似するかどうかが右各引用例から本願発明を容易に想到し得るかどうかを左右するものということはできないから、原告の右主張はいずれも採用することができない。更に、原告は、第一引用例記載の浴中に第二引用例記載の錯化剤を添加しても本願発明のような光沢めつきは得られない旨主張し、この点に関する証拠として、検甲第一号証の一及び二を第一引用例の実施例Ⅴ及びⅦの浴に第二引用例の錯化剤であるクエン酸アンモニウムを添加した実験品として提出するが、右実験が第一引用例の実施例Ⅴ及びⅦの浴と同様の物質を使用し、また、めつき条件たる電流密度、浴温、めつき時間において右実施例Ⅴ及びⅦと同様であつたと認めることはできないから、右各証拠は原告の右主張を裏付ける証拠とはなり得ず、他にこの点を認めしめるに足りる証拠はない(なお、検甲第一号証の三及び四は、原告が第一引用例の光沢剤であるサツカリン及びフタルイミドをそれぞれ第二引用例記載の浴に加えたものであつて、本件審決が認定した第一引用例の浴中に錯化剤を添加したものとは異なる。)から、原告の右主張も採用することができない。

(結語)

三 以上のとおりであるから、その主張の点に判断を誤つた違法のあることを理由に本件審決の取消しを求める原告の本訴請求は、理由がないものというほかない。よつて、これを棄却することとする。

〔編註〕 本願発明の要旨は左のとおりである。

光沢鉄ニツケル皮膜の電着用水溶液浴において、第二鉄(Ⅲ)イオンを含む鉄イオン、ニツケルイオン、浴に可溶なニツケル光沢剤及び少くとも一つの基がカルボキシ基であつてカルボキシ基及び水酸基からなる群から夫々選ばれた少くとも二つの錯化基を有する低級飽和脂肪族カルボン酸またはその塩である浴に可溶な一〇~一〇〇g/lの濃度範囲の錯化剤を含む水溶液浴であつて、その浴のpHが二・五から五・五の範囲にあることを特徴とする腐食され易い素地に光沢鉄ニツケル皮膜を電着させるに適した水溶性電着浴。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!